Crescent Moon

自分が実際に使ってみて良かったもの、期待できるもの、試したものなど。主に美容、健康、日常のことなどを綴ります

ファンファレ わたしのきまり シャンプーを使ってみました

ファンファレ わたしのきまりl


をお試し購入。
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詰め替え用のパウチのようですが、
このままフタを開け締めして使うようです。

泡だたないシャンプー。
トリートメント、リンスも必要なし。

艶々な髪の毛は、何歳になっても憧れです。髪が、元気だと若返った気分になれます。

いつものことながら(失礼)半信半疑で使用してみることにしました。

パックから出す量は、髪の毛の長さからして、ピンポン玉2個分。最初は量を多目に使用したほうが良いとのこと。

みっちりとしたクリームです。結構な量で、300グラムはあっという間になくなってしまいそう。

指の腹でマッサージしながら頭皮にもみこみ、3~5分。

本当に泡立たない…これで本当に洗えてるのかな?ちょっと不安。香りは薔薇のいい香りがします。

洗い流すときは、トリートメントをした後のようなさわり心地になっていました。

まだ、二回しか使ってませんが、髪の毛は確かに艶が出てる気がします。
あと、本当にトリートメントしなくても、したような感じに仕上がるので、時短、節約になりますね。

主原料は、熊本、香川県小豆島のエキストラバージンオイル
さらに4つの天然オイル配合
アルガンオイル、アーモンドオイル、マカダミアナッツオイル、ヒマワリ種子オイル

8つの天然成分
ハチミツ、パールエキス、オレンジ果皮オイル、ダマスクローズ

4つのオーガニックハーブ配合

一袋使い切って、私の理想の艶々サラサラ髪に近づいていたら、リピートしたいと思います。

ファンファレさんの、

女性のキレイとゲンキを応援することを使命とする。
ひとりでも多くの女性が笑顔になれることを願っています。
と、書いてあったこと

封筒に、手書きのメッセージが書かれていたところに好感が持てました。

半信半疑とか言ってしまいましたが(^-^;
期待しています。

 

 

http://fanfare-shop.com/kimari/orthopc/life.html

あれから6年半

2011.3.11東北地方太平洋沖地震から、約6年半が経過致しました。

私には3人の子供がおりますが、そのとき3男は生後7か月でした。
育児に追われながらも、平穏に子供たちに癒されながらの生活がその日を境に変わりました。

突然の断水、買い物に行っても食べるものがほとんど売っていない。
店は次々に閉まり、ガソリンスタンド、給水所、一部の店舗では長蛇の列。
それでも、水だけはなんとか確保しなければならず、子供をおんぶしながら知り合いの家の井戸や、
田んぼの用水路など、一日歩き回って水くみをしました。

そんな中でも、大きな余震は一日何度も発生し、緊急地震速報におびえ、揺れるたびに子供たちの手を取り
恐ろしさに震えていました。
怖い。早く、早く揺れが収まりますように…。揺れるたび胃痛に悩まされました。

津波で、海沿いにあった主人の店は流されてしまいましたが、何より家族全員が無事であったこと。
命があり、家が無事。それだけでも良かったのだと、言い聞かせました。
同時に、これからのことを考えなければ。と途方に暮れてもいました。

そして数日後、福島第一原発事故。爆発してキノコのような煙があがっている様子を、車のテレビで見てました。

そのとき私は、海に近いガソリンスタンドで、
長蛇の列の真ん中あたりにいました。 
ちょうど、大きな余震があり、津波注意報のサイレンが鳴り響き、避難を呼びかける消防の車。
リュックを背負った人たちが、道路にたくさん飛び出してきました。

「逃げよう」 とっさに、近くに住む祖母の家に行き、祖母と子供を3人乗せて混乱する頭で、
混乱して逃げる人たちの間を抜けて、渋滞するなか、とにかく海から離れること。ただそれだけでした。

そんな状態で、突然テレビのニュースで、福島原発が爆発した映像を目にしたのです。

「もう、だめかも。守れないかも」
と、思うと急に力も抜けて、なぜか笑みさえ浮かんでいたかもしれません。どうにもならない時って
こうなるんでしょうか。



その後、実家に一か月ほど避難させてもらいました。
実家では、計画停電で、停電する時間が決まっていました。
その時間になると、夜でもパッと電気が消え、不自由ではありましたが、家族が全員一緒にいたので
それほど怖くはありませんでした。

何もない時間・・・ただ時が過ぎるのを待つ日々でした。
情報を集めること、仕事のこと、学校のこと、これからのことなどたくさん考えました。

桜が咲くころ、実家の近くでピカピカの一年生を見ました。お母さんと手をつないで…
被災地での、入学式、どうなったんだろう…
また、福島に桜は咲くのかな。

津波で家が流されて、がれきと泥にまみれ、放射能で汚染された土地や海。
草や花が咲くんだろうか?それより、また住めるようになるんだろうか?

そんなことを思いながらも、誰かの為に残る人たち、避難しないでがれきを片付けてくれてる人たち、
壊れた水道管を修理いる人たち、何より原発に関わる仕事をしている人たちがいました。(一生感謝します) 
なのに、避難している自分って…!? 葛藤もありました。

その後、学校が始まるという知らせがあり、私たちは福島に戻りました。
少しずつ、少しずつ、もとの生活に戻っています。

あの日を境に、「もう戻れない」こともあります。
あと、どのくらいかかるのか分からないくらい進んでいないところもあります。

この大震災をきっかけに、自分の中で考え方の変化がありました。

当たり前に過ごせてる毎日が、奇跡なんだということ。
作り上げたものは、砂の城のように一瞬で崩れてしまう可能性のあるものだということ。
いざとなったら、必要最低限の持ち物、あるいは、自分の体のみしか持っていけないということ。

何より命が一番大切。生きるための気力も大切。
心身ともに健康で、元気があれば、何度でもやりなおし、何でも出来る。

少しでも、自分が人の為に役に立てますように。

そして、弱い自分が何かに気づきながら、成長できますように。変わることができますように。
そんな思いでブログを書いてみたいと思っています。
不慣れですがよろしくお願い致します。